ピオーネから種がなくなった理由とちょっとした歴史

はじめに

晴れの国と称される岡山県は、その温暖な気候風土がピオーネはもちろん、白桃、マスカットなどが果物の産地として適しているので全国的にもとても有名です。 そんな岡山県の名産の1つであるピオーネにはちょっとした歴史があるので、このページではピオーネのちょっとした歴史を紹介しています。

ピオーネの両親

ピオーネの両親
名称 ピオーネ
分類 ブドウ科 ブドウ属
交配・掛け合わせ 巨峰・カノンホールマスカット
主な産地 岡山県、山梨県、長野県、香川県、広島県

巨峰とカノンホールマスカットを両親に持つ「ピオーネ」。
優秀な両親から生まれたピオーネは、ぶどう界のサラブレッドになります。 美しく紫黒の大きな粒は口に頬張ると、パンパンに詰まった果肉からは口いっぱいに広がるたっぷりの果汁、濃い甘味と絶妙な酸味があり、その美味しさからからお子様からご高齢の方まで、幅広い世代の方魅了する至極の逸品の一品です。

ピオーネから種がなくなった理由

ピオーネの特徴は、なんといっても種なし

当時主流の「巨峰」に対抗するため、「ピオーネ」を導入した岡山県。 種がないピオーネが当たり前の現在ですが、もともとピオーネには種があるのが当たり前でした。 当時主流の「巨峰」に対抗するため、「ピオーネ」を導入した岡山県。当時の岡山県農業試験場を中心に種無しに向けた改良が進められ、ジベレリン処理で種無しに成功しました。 今では「ピオーネ」といえば種無しが主流となりましたが、種ありと区別するため、種無しのものを「ニューピオーネ」として売り出し、定着しました。

他県のピオーネと差別化をするためピオーネ生産に生産者の努力が実り、種の無核化技術を岡山県で開発しニューピオーネと呼ばれる「種なしピオーネ」が生まれました。 種のないピオーネが当たり前になった現在ではニューピオーネ ではなくピオーネと呼ばれています。 「ピオーネ(PIONEER)」とは、イタリア語で「開拓者」の意味があり1973年イタリア語の「PIONE」に改名し登録されました。

岡山県がピオーネを作り始めた歴史

岡山の果物栽培の歴史は古く、明治時代初めからさまざまな果物の品種の栽培や改良が行われ全国的にも果物県として有名になりました。

岡山県は葉タバコ生産が多くの場所で行われていましたが減反政策により1985年頃から葉タバコ栽培に代わる転作として県中北部でブドウ栽培が広がりました。 当時の市場ではキャンベルやベーリーAが主流でしたが、岡山の種無しピオーネの技術が確立し、大粒のピオーネは絶大な評価を獲得し一挙に転換が進みました。 ピオーネ生産者の努力の積み重ねにより、全国屈指の産地に成長し農業界で権威ある賞「日本農業賞」(JA全国中央会、NHK主催)、第38回阿新ぶどう部会、第47回びほくぶどう生産部会が大賞に輝きました。

岡山県ではニューピオーネの事をピオーネと呼びます

岡山県内の家庭で食後のフルーツとしてピオーネが出てくる事がよくありますが、岡山県内のほとんどの消費者は、店頭で販売されているピオーネがニューピオーネと分かって購入しています。

他県では「種の無いピオーネ」をニューピオーネと呼びますが、岡山県内で栽培されているピオーネは種がない物ばかりなので、岡山県内の消費者はわざわざニューピオーネと呼ぶことは、ほぼありません。
岡山県で育った私も大人になって「種があるピオーネ」が存在する事を知ってビックリしました!